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サンカヨウ

サンカヨウ。水に触れると花びらが透明になる植物。

映画で知った花の名前。

 

先週「かそけきサンカヨウ」という映画を観てきた。

"かそけき"とある通り、今にも消えてしまいそうなほど、薄い、淡い情景だった。

どういう映画だったかと言われれば、今の私には表現するのが難しいが、青春時代の人間関係が少しずつ変化していくお昼間の薄い陽射しのように優しくて、透明な水のように美しい、そんな物語に感じた。

 

一番印象的だったのは、主人公の陽に好きという気持ちを伝えた相手である陸が、陽の誕生日会で彼女に今の思いを伝えたシーンである。陸は陽のことが好きかどうかは分からないと言っている。ただ、そんなすぐに自分の気持ちをハッキリさせる必要はなくていいこともあるんだなと思った。陸が高校生である今、何をしたいのかがハッキリとはしていないように、少しずつ答えを見つけていけたらいいんではないかと思った。

そのハッキリしない感じが、今の私にはむずがゆく感じてしまったが(笑)

 

サンカヨウという花の存在を私は知らなかった。映画や本などは私の知らないことを教えてくれるので、凄く楽しい。

自己満

ある男の人がこう言っていた。

「自分と関わった女の人(彼女のニュアンス)は自分が幸せにしてあげたい。その人の人生を変えれるぐらいプラスに持っていきたい。」的なことを。

 

ここの部分だけを聞くと、なんて素敵な人なんだと思うのは明確だ。自分のことよりもその人のことを想い、また、実際にそれを行動として移すのは、口で言うのは簡単だが並大抵に出来ることではないと思う。私は彼が今までそれを過去に行ってきたことは、彼の話から本当だろうなと思うことができた。純粋にカッコいいなと思った。

 

ただ、彼と関わってから少し経った今、私はこう思う。

"彼はその女の人を想って行動していたのは事実だと思うが、それは最終的には自分が彼女を幸せにしてあげることができたという自己満のためなのではないか"と。詳しくは述べないが、なんとなくそう思う。

 

そう思った時に、世の中は自己満でありふれているのではないだろうかと思った。本当に今現在関わっているその人のことを想っている人はどのくらいいるのだろう。客観的にみたら少し重いなと思う(笑)。でもそうでないと私はつまらないなと思うし、将来のパートナーにするような人はそういう人がいいな。なんて。

 

 

 

 

 

 

楽しいの定義は変わっているはず

昨日いっぱいになったアルバムの写真整理をしていた。

中高時代の写真を見ながら、昔は昔で楽しかったなと。

その時は特に何も考えていなかったが。

 

写真の整理をしながらふと「もし今の私が過去に戻ったら、昔は楽しかったことが今は楽しくないんだろうな」なんて考えた。勿論当たり前だ。その分考え方も思考も変わったはずだ。俗に言う大人っぽい考えになったのかななんて。

 

中高生の頃はただ友達や周りの人と、わいわいたわいもない話をするのが楽しかった。だけど、今は違う。

 

年を重ねて、心から楽しいと思うかが気になるようになった。私は気にしいだし、今よりももっと若い時は周りの目を気にしていた。その分楽しめていないことに違和感と時間の無駄と面倒くささを感じてしまった。もっと面白い話がしたいのだ。

 

表面上だけの世間話ではなく、もっと内面に重きを置いたもの。自分や相手がどう思っているか。なぜそう思ったか、など。その感じ方は人それぞれだ。それを知り、またその違いを感じるのが今の私は楽しい。そして、そんな感じ方が似ている相手や、似ていなくても語り合えるような、そんな相手と楽しいことをしたい。

彼は私が女じゃなくても、私のことに興味を持つのだろうか

今、ネットで知り合った4つ年下のboy(男の子)と、暇な時に遊んでいる。

彼とは同じ趣味で知り合った。

 

彼は性格がとてもイケメンだ。下心が見えることもあるが(笑)。それをかき消すくらい自分にはない自信や意思を持っていてとても魅力的だ。私が4年前に彼と出会っていたら確実に好きになっていただろう。

 

そんなこんなな出会いから早数カ月。その間、何度か会ったり電話もした。彼とは同じ趣味の話が出来るのでその部分は確かに楽しい。しかも、性格が男らしくてカッコいい。ただ、圧倒的に何かが違う。違和感を感じる。

 

彼と話していると、彼が私に対して恐らく"好き"という感情があるというのは何となく分かる。どういう好きかは置いといて。"私に好かれたい"と、直接言ってきたこともあった。

 

そんな中私はこう思った。「彼は、私が女だから私のことに興味を抱いているのではないだろうか。」そう思った時に、「彼は私が女じゃなくても、私のことに興味を持つのだろうか」と、そう考えた。考えすぎなのかもしれない。


ぼくのエリ 200歳の少女」という映画のセリフに「もし、私が女の子じゃなくても好きだと思う?」というものがある。「みんなの映画100選」という本から知った。

この映画のことは知らないし、軽く調べたところ、恋愛的なものではなくもっと深いものだという風にとある記事に書いてあったが、この言葉を知ったときに、自分の言葉を綴りたいという感情が芽生えた。素敵な言葉だなと思った。

共通の趣味なんて、ただのきっかけに過ぎないのにな。

「お互い音楽の趣味が合うから、これからは同じ音楽好きとしてライブとか一緒に行ったりしよう」好きだった君と喧嘩した時に言われた一言だった。

確かにそうだった。君とは他の人より音楽の趣味が似ている。

 

ただ、私は趣味が合うことは、そこまで人間関係を作る上で大切なことだとは思っていなかった。趣味なんて所詮仲良くなるきっかけの一つに過ぎない。合ったらいいなくらい。それは今まで私の生きてきた中で感じたことだ。

私は君とはもっと他のものが似ていると思っていた。趣味じゃないもっと他の何か。好きな感覚とか、大事にしたいこと、嫌いな感覚や許せないところ。だからこそ君にその言葉を言われたことが、その時には実感出来ないほどショックだった。3ヶ月経った今だから思う。一番悲しかった。

正直あの頃の2人は、いや、私だけだったのかもしれないが、好きな君との関係が上手くいっておらず、色々な面において正常な判断が出来ていなかったのかもしれない。私も大切にしたい感覚を見失っていたと思う。だから、喧嘩をしてしまったのだろう。最近好きな作品に触れてからその感覚を思い出したような気がする。また、君は口下手だ。

これからどうなるかは分からないが、変わらないものは変わらない私でいたい。



ps.電車で泣くのにもすっかり慣れてしまった。みんなスマホや自分の世界に入っているから意外と気付かないものだ。ただ、たまに気付かれることがあるから、それはちょっぴり恥ずかしい。

2番目だったクロノスタシスが好きだったのかもしれない

私は音楽を聴くのがとても好きだ。

音楽を聴いているときは、他のことは忘れて音楽の世界だけに没頭出来る。

 

好きなアーティストの一つであるきのこ帝国。私は、中でもクロノスタシスがお気に入りの曲だった。ゆっくりとしたテンポで少しのポップさもあり夢心地になるようだが、夜の情景が浮かんで少し切なさも感じられる。また、「"クロノスタシス"って知ってる?」という隣にいる誰かに話しかけているような歌詞が印象的であった。

 

この曲は今年に公開されて大ヒットした映画である「花束みたいな恋をした」の中で出て来た曲であり、その反響もあってYouTubeの再生数がぐんと伸びたのを見た。

また、アップルミュージックでもトップソングの1番上になっていた。

 

そこで私は違和感を覚えた。クロノスタシスがきのこ帝国で1番であることに。

私がきのこ帝国と言えばと聞かれた時に1番最初に思い浮かぶのは「金木犀の夜」だった。実際映画の公開までは1番再生されていたはずである。

 

私はアップルミュージックの1番上にあるクロノスタシスを聞いた時、以前のようなお気に入りの曲を聴くときのウキウキ感が無くなっていることに気付いた。

そこで私はこう思った。「私はクロノスタシスの曲が好きなのではなく、きのこ帝国の中で2番目だったクロノスタシスが好きだったのかもしれない。」

 

夜の図書館

今日は仕事帰りに借りてた本を返しに図書館に寄った。

 

夜の図書館はワクワクする。暗闇の中に一際光っている存在のように見える。

また、放課後の閉まった校舎に忍び込む時のような、少しイケナイような気持ちにもなる。

 

中学校の時に、試験期間で部活がお休みの中、誰もいないテニスコートを眺めながら勉強した場所。

高校の時に、これまた試験勉強のため平日も休日も夜遅くまで勉強した場所。

大学の時に、ほぼ毎週のレポートを終わらせるために分厚い本(文献)を読みながら、必死に筆を走らせていた場所。

ほぼほぼ、勉強のために利用していたことが多かったが、それぞれの時代にそれぞれの思い出がある。

 

今通っている図書館は、都心というほどは栄えていないがそれなりに大きな街なので、平日の夜でも結構人がいる。賑やかで人がいる安心感から明るい気持ちになる。

そんな図書館に通うのが今の1つの楽しみだ。